TOYOTA CONIQ Alpha, Inc.

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山下義行
トヨタ・コニック・アルファ
代表取締役社長
武邑光裕氏
メディア美学者
メディア美学者・武邑光裕氏と考える

デジタルとリアルが
溶けた世界の「幸せ」

デジタルとリアルが融合しつつある世界で生きる人は、どんな価値観を持ち、どのように暮らし、そして何に「幸せ」を感じるようになるのでしょうか。デジタル社会環境を、その黎明期から見つめてきたメディア美学者・武邑光裕氏とトヨタ・コニック・アルファ代表の山下義行が語り合います。

「利己」と「利他」が表裏一体となっている幸せ メタバースは「世界と人間の一体性」を回復する はじめて箱根にドライブしたときの多幸感は忘れられない

「利己」と「利他」が表裏一体と
なっている幸せ

山下義行:(以下、山下)

本日はデジタルとリアルの障壁がなくなる世界の「幸せ」をテーマに武邑先生とお話したいと思っています。冒頭から獏とした聞き方になりますが、そもそも先生はどのようなときに幸せを感じますか?

武邑光裕:(以下、武邑)

そうですね…利己的な幸せと利他的な幸せが重なり合う瞬間、でしょうか。幸せは、人も含めた自然との関わりの中でこそ発見出来るもの。つまりひとりでは実現できないと思っています。

山下:

幸福はひとりでは実現できない、まさにそのとおりですね。自分が幸せになることは、他者の幸せ、引いては社会全体の幸福にもつながっていく。トヨタは「幸せの量産」をミッションに掲げ、ウェルビーイングな社会の実現に寄与したいと考えているのですが、それにも近いお考えのように思います。

武邑:

もっとも自分の若い頃を思い返してみると、僕にとっての幸せは非常に利己的なものでしたよ。利他的なものに幸福を感じるようになったのはずっと後のことで、家族ができ、大学で多くの学生と関わる中で徐々にそうなっていったように思います。

特に変わったのはこの数年。2015 年から7年間ベルリンに住んでいたのですが、そこでの生活で、幸せは単に利己的なものではなく、とても公益的で利他的な活動とも結びついていると実感するようになったんです。

山下:

環境の変化が、幸せの価値観そのものを変えていったということですね。

武邑:

ええ。欧米は個人主義であるとよく言われます。そのとき我々日本人は、「個人主義的な人は利己的で協調性に欠ける」と考えてしまう。そうではなくて彼らの個人主義は個人の幸せ、利己の追求の先に、集団や社会の幸福があるという考えなんですね。

そうした考えは日本で読んでいた書物やそれまでの学びでは見えておらず、ベルリンの空気を吸い、そこで生活することで体感としてわかってきたのです。欧米の個人主義における利己と利他は表裏一体であり、それはイギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムが提唱した功利主義の原則「最大多数の最大幸福」にも通ずるものだと思っています。

山下:

もちろん日本にも利他精神を持った方はいらっしゃるとは思います。しかしながら、それが社会全体として「そのような価値観」にはなっていない…だとすると、それはなぜそうなってしまっているのか。その違いはどこにあるとお考えでしょうか。

武邑:

やはりコミュニティのあり方ではないでしょうか。今の日本社会はコミュニティというものが非常に単一化されていて、多様性に欠けていると思います。

これは昔からそうだったわけではなく、江戸時代などは多様なコミュニティが点在し、芸事とか習い事とか表現する個人がいて、武士や町人が階級を越えて交流する場にもなっていました。

つまり「繋がりあう個人」が社会を形作っていたわけです。また、そのような社会において「粋」という概念が重視されており、そのことも大いに関係していたように思うのです。

山下:

なるほど。「繋がりあう個人」が「粋」であることを良しとして、社会をつくりあげていったからこそ、利己と利他が重なり合っていったと。

武邑:

余談になりますが、落語家の古今亭志ん朝や立川談志が得意としていた人情噺「文七元結(ぶんしちもっとい)」には、当時の日本社会が理想とする利他性がよく描かれています。そうした価値観は日本社会の中に染み込んでいたはずですが、おそらく明治期以降、西欧社会との融合の中で切り捨てられてしまったのかもしれません。

メタバースは「世界と人間の一体性」
を回復する

武邑:

デジタルは人間の記憶を拡張させました。それまで生物学的なメカニズムを通して記憶は脳の中にエンコードされ、それを引き出してくるという生物学的な回路が必要だったけど、それをほとんど必要しなくなっている。特にスマホは人間の記憶をつかさどる“情報臓器”のように外在化していますね。

山下:

今後、社会のデジタル化はますます加速していき、例えば「メタバース」の技術がより進むことで、リアルとデジタル(バーチャル)の垣根はますますなくなっていくことが予想されています。そしてそれは、いずれリアルとデジタルが溶けた世界となっていくのではないかと思われます。

武邑:

そうですね。ここで一点、言っておきたいのは「バーチャル(virtual)」という言葉を使うとき、日本では「仮想的」という言葉に集約されてしまい、現実から離れたもののように捉えられていること。
「バーチャル(virtual)」の本来の意味は「実質的な」「事実上の」です。

山下:

つまりバーチャル空間とは、仮想空間ではなくもう一つの現実空間であると捉えるべきだと。

武邑:

そう思いますね。現実世界をそのままコピーしているわけではなく、我々が今生きているリアルな世界とは違った現実(メタリアル)が存在しているようなイメージです。

すこし難しい話になりますが…メタバースは「ダーザイン(Dasein/現存在)」を取り戻すと言われています。ダーザインとは、ドイツの哲学者ハイデガーが『存在と時間』で語った概念で、人が「ここに在ること、いること」を意味します。

ハイデガーは世界と人との不回避的な関係、一体性をダーザインと呼んだのですが、その一方でダーザインは喪失していく危機にあるとも指摘しています。なぜ、喪失していくのか――彼は、その要因は「言語」にあると言っています。

山下:

言語が「世界と人との一体性」を奪っている、ということですね。これも実に興味深いお話です。

武邑:

我々は意識していないですが、言語が作り出している世界は、非常に規範的、制度的です。人を義務や規則、善悪と結びつけているのが言語であり、それによりダーザインが失われたと。僕は、メタバースは言語により失われた「ダーザイン=世界と人との一体性」を回復してくれる技術になり得ると思います。

山下:

その結果としてどんな社会構造になっていくのか――要はリアルとデジタルが溶けた世界の社会構造についても私たちは思いを巡らせていかないといけない。先生はどのような社会構造になるとお考えでしょうか?

武邑:

正確な未来予測は難しいのですが、ひとつ言えるのは、従来の言語空間では難しかったナラティブやストーリーテリングが可能となり、見えなかった問題や課題を発見出来るようになる可能性が高いと思います。そうなれば、これまでの現実世界とデジタル世界の間に新しい関係性が生まれ、リアルとメタリアルが融合した新しい現実世界が構築されていくことになるのではないかなと。

その場合も単一化されたものではなく、江戸時代のコミュニティのような形で、小さなメタバースがたくさん出てくることが望まれます。そうなれば多様性や異質性を糧にしながら社会を見つめ直すことも出来るはずです。

はじめて箱根にドライブしたときの
多幸感は忘れられない

武邑:

僕は子どもの時から車が好きで高3の秋、18 歳の誕生日に免許を取得して、高校時代の後半は車通学していました。免許取り立てのときに、箱根に一人でドライブしたときの高揚感、あの多幸感は未だに忘れることができませんね。車は自分の肉体を拡張してくれるメディア。仮に自動運転が実現しても、人から運転する喜びを奪うことは出来ないと思うんですよ。

山下:

先生にそんなご経験があったとは!まさに“FUN TO DRIVE”ですね。車が昔も今も、そして未来に渡って提供することのできる色褪せない価値だと思います。

武邑:

車はそんな普遍的な価値を提供してくれつつ、進化もし続けていますよね。そしてその進化は、周辺のテクノロジー含めて人の生活を大きく変え、また地球環境にも影響を及ぼしている。一方で各国はあらゆる環境規制をかけ、それがイノベーションを阻害したり、逆に促してもいます。

そうそう、ついこの前まで欧州全体で推進していた電気自動車(EV)も、深刻な電力不足により暗い影を落としています。他方、環境負荷のかからない水素ベースのグリーン燃料の開発が欧州でも急速に進んでおり、そうなれば内燃エンジンの技術を活用しつつ環境にも貢献できる。

山下:

今ある車や技術を有効利用することも、本質的なエコロジーに繋がると言えますね。

武邑:

モビリティとコミュニケーションは、現代社会の最も基礎的な“動力”です。コミュニケーションはどんどんモバイル化していき、手のひらので完結します。逆にモビリティはどんどんネットワーク化されている。

山下:

そんな中で、企業とお客様のコミュニケーションのあり方も大きく変わってきています。

武邑:

そうですね。元々「会社」を意味する「カンパニー」とは「仲間」という意味。かつて企業と顧客は一体のコミュニティでしたが、企業が大規模化していく中で、膨大な数となった消費者との関係構築が難しくなりました。そこでマスメディアが大量の情報を同時に多くの人々に届ける役割を担うようになったわけです。

ところが今や20世紀型のマスメディアは弱体化し、顧客一人ひとりがソーシャルメディアで双方向のコミュニケーションをし、互いに繋がり合える世の中になりました。そんな状態で企業はどんなコミュニケーションをすべきか。例えばトヨタの「ヤリス」は、2021 年に欧州で最も販売台数が多かった日本車で、ベルリンの街中でもよく見かけます。でもヤリスユーザー同士は、なにもつながりがない。そんなユーザー同士をつなげる有機的なコミュニティがあれば、ユーザーと企業の関係性もより強いものになると思うんです。

山下:

ええ、お客様でもあり「仲間」でもある。そんなみなさまに幸せを届けることが我々の今後の使命だと思っています。近い将来デジタルとリアルが溶けた世界が当たり前になった時も、我々はモビリティの原点に立ち返り、人という存在を見直し、幸せというものに向き合いつつ進化していかなければならない。先生のお話をじっくり伺う中で、非常に多くの「刺激的な学び」を頂き、思考を深めることができました。本日はお忙しい中、大変ありがとうございました。

武邑光裕
たけむら・みつひろ

メディア美学者、千葉工業大学「変革」センター主席研究員。1980 年代よりカウンターカルチャーやメディア論を講じ、VR からインターネットの黎明期、現代のソーシャルメディアから AIにいたるまで、デジタル社会環境を研究。2013 年より武邑塾を主宰。著書に『さよならインターネット GDPR はネットとデータをどう変えるのか』(ダイヤモンド社)、2015 年よりベルリンに移住、2021 年帰国。

山下義行
やました・よしゆき

トヨタ・コニック・アルファ株式会社 代表取締役社長。トヨタ・コニック・ホールディングス株式会社 代表取締役社長。トヨタ自動車 国内販売事業本部 副本部長。自動車工業会(JAMA) デジタルタスクフォースリーダー。事業構想大学院大学 客員教授。

取材・文/吉田大
撮影/今井裕治
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